【タカラスタンダード社長インタビュー】リフォーム強化し、2020年売上高2000億円

タカラスタンダード 渡辺岳夫 社長タカラスタンダード 渡辺岳夫 社長

1958年7月14日生まれ。慶応大学経済学部卒。1982年4月日本鋼管入社。1988年5月ペンシルベニア大学ウォートン校修士課程修了。1994年7月タカラスタンダードに入社。取締役、常務取締役、専務取締役を経て、2003年5月代表取締役社長に就任(現任)。2012年6月社長執行役員就任(現任)。

独自のホーロー商品、販売、価格戦略で成長

国内初のホーロー流し台を開発し、水まわり設備のトップメーカーに成長したタカラスタンダード(大阪府大阪市)。独自の商品、販売、価格戦略を展開するとともに、近年は強みの技術を生かしてホーローパネルなど事業領域を拡大。2020年の売上高2000億円達成に向けて着実に前進している。渡辺岳夫社長は「営業体制を強化し、リフォーム専門の部隊を組織した。さらなるリフォーム拡大を狙う」と話す。

「家事らくシンク」を中級シリーズに拡大

――この応接室に来る前に見せていただいたホーローパネルの「エマウォール インテリアタイプ」は色が鮮やかで、照明が当たるときらきらとした光沢が出るのが目を引きます。御社は水まわりのホーローが主力ですが、今後はホーローパネルにも力を入れていくのでしょうか。

 そう考えています。数年前にホーローインクジェット技術が実用化できるようになり、既存の柄に加えて、お客様の好みに合わせてデザインできる手法が確立しました。それならば水まわり以外にも、ホーローの特質を生かして、そこにデザイン性も訴えかけられると思っています。昨年、東京・浜松町にショールームを開設し、ホテルや施設など非住宅の商材を多数紹介しています。

――主力のキッチンでは、主婦目線の「家事らく」がキーワードです。

 今は共働き世帯が増えているので、「家事が楽にできる」をセールスポイントに開発したのが「家事らくシンク」です。洗ったり切ったりがシンク内でスムーズにできます。非常に好調で、搭載可能商品を中級シリーズにも拡大しました。また、高級グレード「レミュー」をフルモデルチェンジしました。デザインをてこ入れし、収納部分をかなり充実させました。比較的富裕層の方をターゲットに広げていきます。

――タカラさんの社名はよく知られていますが、商品のブランド名が多すぎて、なかなか印象に残らない部分がありますね。

 確かにそこは反省点。ちょっと分かりにくくなっているのはご指摘の通りなので、その辺を少しずつ整理していきたいと思っています。

タカラスタンダード デザイン性を高めたホーローシステムキッチン「レミュー」デザイン性を高めたホーローシステムキッチン「レミュー」

ルート営業はリフォーム専門に

――昨年から営業組織を再編し、リフォーム営業の本格強化を図っています。その内容と狙いを教えてください。

 当社の水まわり機器の販売形態は、大きく分けて3つあります。1つはマンションを中心とした集合住宅向けの直需営業、2つ目は新築戸建て向けの特販営業。3つ目は流通を経由するルート営業で、リフォームが中心です。かつては1つの支社支店で3つの営業を行っていましたが、私が社長に就任して間もない12年前に、売り上げが大きくなってきた集合向けの直需部門を独立させました。そして今回、直需と同じように特販営業の組織を分離し、首都圏、関西に特販支社、九州に特販支店を設立しました。これにより、支社支店のルート営業はリフォームに専念する体制が整ったことになります。

――成果はどうですか。

 まだスタートしたばかりですが、昨年1年間のパフォーマンスを見てみると、首都圏のリフォームの売り上げは伸びてきています。

――集合住宅で蓄積したノウハウを活用し、営業の効率化にも取り組んでいるそうですね。

 過去数十年にわたって納入した15万棟のマンション情報が蓄積された「物件管理システム」を導入し、情報を活用したリフォーム営業を推進しています。また、首都圏の職人を束ねる首都圏工務センターを立ち上げました。職人を1都3県まとめて管理し、足りないエリアに融通します。さらに、見積もりを行うプランニングセンターを立ち上げました。女性オペレーター40~50人が専門的に見積もり業務を担当しています。アフターサービスの受付処理を集中管理するカスタマーセンターも新設し注力しています。

――タカラと言えば、商品を見せて売るショールーム戦略がよく知られています。

 ショールームは、先代(故・渡辺六郎相談役)の基本方針の1つです。「いずれはエンドユーザーが商品を決定する時代が来る」と考えて、ショールームを展開したのだと思います。

 もう1つには、ホーロー流し台という特殊なもので業界に参入したので、ホーローの質感や他の素材との違いは見てもらわなければ分からない、だから必要に迫られたという両面があったと思います。また、後発メーカーですから、東京や大都市で戦っても勝算がなかった。地方でショールームを展開し、地道に営業して基盤を作っていったのだと思います。

「力を尽くして狭き門より入れ」

――渡辺六郎相談役は3年前に亡くなりましたが、その経営哲学は今も語り継がれているそうですね。

 先代の経営哲学だった「力を尽くして狭き門より入れ」は、聖書から引用したと聞いています。狭き門とは困難のこと。困難にすべてを集中し、苦しみ抜いてこそ大きな成果が得られる、という意味だと思いますが、まさに先代の経営そのものだったと思います。

――相談役は、昭和38(1963)年に大日本製糖から日本エナメル(現・タカラスタンダード)に入社しました。

 日本エナメルは、ホーローの工業品を作る会社として明治45年に設立されました。戦後、海外からの安い製品に押されて業績が落ち込んだので、立て直しのため、先代が行くことになったわけですが、「大日本製糖の本社があった丸ビルから大阪のここに来たら、水洗トイレもないようなところだった、ひどい目に遭ったよ」とよく言っていましたよ(笑)。

――その後、当時の成長分野であった住宅に着目し、ホーロー流し台を開発しました。

 元々持っていたホーローのプレス技術を使ってステンレス流し台を開発し、さらに他社との差別化を図るため、ホーローの技術と流し台をドッキングさせてホーロー流し台が完成しました。あくまでホーローにこだわったのは、「人と同じことはやらない」という先代の信念だったと思います。

――この業界では珍しい、掛け率が一定の価格政策も、相談役が始めたそうですね。

 販売価格も卸値も全国一律の価格政策は、最初から徹底していました。大手の問屋からは反発があったと思います。ただちょうど昭和40年代頃は、住設関係に新しい流通さんがたくさん参入してきていますね。そういう会社さんにとっては、大手の問屋も、自分たち新興の問屋も、同じ価格でタカラから買える。同じ土俵で戦える、タカラはフェアに卸してくれると評価してくれた人たちが、タカラのファンになってくれたのではないかと思います。これは私の想像ですが、たぶん間違っていないと思います。

――全国に設備建材流通店は数万店あるといわれています。流通ルートにおける営業戦略の今後の展開は。

 確かに私どもも営業力が強くなってきて、流通に対するけん制力もあるとも言えますが、そうは言っても私どもが末端の工務店やリフォーム店に売れるだけの力やマンパワーを持ってはいないわけです。あくまでも流通と一緒になって、共存共栄できることが基本。今後も代理店営業は当社の基盤として守っていきます。

――ところで、渡辺社長が日本鋼管時代に留学した大学院は、米国のトランプ大統領の出身校ですね。米国へは、社長修行のために行ったのではないのですか。

 全然違います。鋼管の社内留学制度に応募して、合格したのです。英語での勉強は大変でしたが、楽しかったですね。タカラに入社することになったのは、留学から帰ってきて6年ぐらいして、ある日突然、先代に「話がある」と言われて、何かなと思ったら、「来てみるか」と言われて。今年還暦ですから、社長就任から15年経ちました。速いですね。

――最後に中期経営計画について伺います。8月発表の第1四半期は減収減益でしたが、通期の見通しはどうですか。

 集合住宅向けの直需部門の売り上げが落ちているのが影響しています。主に現場が遅れている。ただ受注状況からみると、今期の売り上げは伸びると思います。2020年に2000億円を目標にしていて、これまでも過去最高を更新してきていますので、今年もいけると思います。問題は利益。営業の強化策を利益につなげていきたいと考えています。